あわくひかるあなた
こちらへと 手をさしだす
ゆきたいのはやまやまですが
わたしにはあなたがきれいすぎる
なみだを流せば
あなたは愛でみちみちて
わたしは哀でみちみちているのでしょう
そう言ってしまえば
あふれてくるのはなみだです
ぼろぼろとこぼれて
あなたがかすむ
あなたがいてうれしいと
そう思うきもちもかすめば
わたしは救われますでしょうか
あわくひかるあなた
その手をかえせないことをお許しください
あけすぎましておめでとう。
かなり放置していましたね。
最近は、自分って詩を書いてたんだなあ、書けるといいなあ、ぐらいに思ってます。
人と話したりするのが楽しくて、いろんな人と飲んだり、話したりしていました。
なんかねえ。昔は、もう人とは最低限でしか付き合いたくないなあ、なんて思ってましたが。
成長したのか、なんなのか。人と会ってみたいと思うようになりました。
相変わらず、自分から動くのは苦手なので、受け身に近いですが・・・。
いろんな人と出会ってね。
たのしく過ごしたいと思います。
詩のブログ?それとも日常ブログなの?ここ?
って感じですが、私のブログなんで、ぬるーくゆるーく更新します。
面白そうだから、ゆるーくつき合ってやるよと言っていただけたら、とても嬉しいです。
今年もよろしくお願いします。
ちょっとしたお知らせ?
某人さんによる、年越詩祭が開催したそうです。
年末ごとに開催している詩で、今年で5回目なそうな。
詳しくは、こちら。
http://toshikoshi.blog8.fc2.com/
多くの人に参加してほしいそうです。
気になった人は是非、上記のURLにれっつらごー。
私は参加未定です。
お誘いいただいて嬉しいのですが、いかんせん、企画の詩を作ろう・・・!と張り切ると、張り切りすぎて、いつもと違うペーストのものができるんですよねえ・・・。
過去のものも良いということだったので、過去のものをみて、これがいいなといものがあったら、参加させていただこうかなと。
こういう企画があるというのは面白いもので。
私のような参加する勇気がない人でも、是非見に行ってみてくださいな。
幸せの渦の中で 僕は溺れているのだ
そうして息ができないことが ひどく うれしい
一緒に死ねたらいいのにな
なんて思ったことはないけれど
それに似た感覚があって
僕は足をもがいて この渦を足で感じている
さびしい という言葉を作った人は、そのときどうしようもない寂しさで、文字という形を作りたくなったのかね。
じぶんのさびしさを誰かにみせたかったのかな
納得したかったのかな
よくは分からないけど、分かる気がして、なんだか切なくなっている。
お前さんはからっぽだねえとじいさんが言った
「からっぽであれといったのは誰なのさ。純真無垢であれと願ってぼくをあいしたくせにそういうことをいう
ぼくのなかからあふれでるものがないとなじってじいさんはいっぱいもってるよっていいたいだけなくせに」
くつくつと誰かが笑った気がして おもしろくはない
点々と空から氷が降ってきて
誰彼かまわず痛みを与えて往く
雨だったら飲み干してやるのに と
言ったのは ぼくだったかじいさんだったか
じいさんはありえないか
ぼくのなかからあふれでるものは
恐ろしいほど深く 暗く それが何か理解できない
それでもぼくはこれを誇り じいさんを否定する
あんたはそれを持ってはいない
持てるはずも無い
木のすべてを本にしてやろう と
言ったのは わたしだったかお前さんだったか
お前さんはありえないか
土が浮き上がり足場をくずして往く
そこにいるのかと
うそつきめと声が気がして くだらないと笑った
「
」
じいさんはずるいとお前さんが言った
間違ってはいないとわたしは笑った 笑ってやった
人たらし、と友達に呼ばれました。
友達いわく、人をひきつけているそうなのです。
でも、それは違うんだけどなあ・・・と苦笑してしまう。
私は、恐ろしいほど、コミュニケーションがうまくとれない人間なのです。
それは小さい頃から変わらない。
うまく話せなかったり、理解する知能がなかったり、困ることばかり。
そうやって身に付いたことは、人の鏡になることです。
その人を、受け入れ、そのまま返すだけ。
相手を認めて、その人の意見にうなずく。
すべて、うなずくわけではないですよ。そうしたら、不自然のかたまりでしかない。
自分の意見をすべて殺してるわけではないけれど、相手に同意しながら、わずかな私自身の意見を言ってみる。
どんなことを言われても、引いたりせず、一定の距離を保っている。
それは人にとって魅力的なことだろうと、私は思う。
思うから、そういう人間になっているのだろうし。
この間、知人と飲んだ際に、そういうスタンスをやめろと遠回しにいわれました。
同じ人間ばっかりいても面白くない、人は違うから面白いのだと言われました。
それは本当にその通りで、そうですねと苦笑するばかりでした。
その人は、尊敬する人の一人で、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
申し訳ない気持ちというのは、直す気がないから、感じてしまうのです。
このことは、小さい頃から染み付いてきた性格のひとつのようなものです。
それを無くすことは無理だと思っているし、それはそれでいいのかなと。
私自身、人に対して、嘘をついてるつもりはありません。
自然とやってしまうことです。
勘が良い人は気づき、私を嫌っていくのだろうな、と思います。
それはそれで仕方が無いのです。
ただ、ごめんねとしか言えないです。
だからかね。
人をひきつけているというのは、虚像でしかない。
自分を同意してくれる人・受け入れる人は、誰しも交流しやすい対象ではないのかね?と。
と、友達に話をしたら、それはあたってるねと言われ、難儀なやつだと言われました。
そう、総括して言うと、難儀なやつなんです。すまんね。
僕のすべてを測ろうとすると
君を定規にして
貴方を分度器にして
きっと僕は測っている
そうして
「はかれないよ」
と君に 貴方に お前さんに どっかのあんたに
泣いてすがるのでしょう
きっと僕は帰れない海に辿り着いた
帰れないことを嬉しく思うと
胸に手を当てて告げた
君のためにおくるこの劇は今日で幕をとじります
綺麗なお辞儀をすると
ぱちゃぱちゃと水の拍手がして
ちっぽけな劇はおわる
陸地のみなさま
僕は今日 みなみなさまを思い
波間の向こうで 僕をやめようと思います
そうでないと僕は僕になれないのです
帰れないことを嬉しく思う
君の目玉は真珠のよう
そうやって笑った僕は今日
君の在処に帰りまする
きみに向かって愛してるという限り
ぼくはきみを愛せてはいないんだよ
うんと返事をしてきみが泣いていた
あいもかわらず、信仰のような、虚像のような、感情をいだいて空想している。
あの人なら、満足しないだろうと思いながら、何かを作る。
それを誰かは知らない。
生きていて、笑っていても、どこかで泣いている。
そんなヤツだなお前は、と笑っている。
お前だって、泣いているくせにと思いながら。
繰り返しの、空想は。
私を殺すのかなあと思いながら、空想する。
どうしようもなく、終わりは無い。
疲れても、いかれてもありませんよ。
素直な言葉を、文字に吐き出すとこうなってしまうのだなあ。
上のほうのは思うままに、打ってみた結果ですな。
いつものように文を書くのは、ある程度考えながら打ってるんだなあと、思えます。
素直であろうとすると、まとまりもないし、意味もわからんのだなあ。
素直というか、心をむき出しにするとこうなる。
学校からの帰り道、歩くのだけれども。
こんなことばっかり、とりとめもなく思ってる。
意味はないのだけどねえ。
なんなんだかねえ。
そうじゃないと、自分ではないなあ、という自覚だけがあります。
からっぽの嘘をつくこと
それがうまくいきるということなのかね
お前のことを想うよ、とうそをついた
それは紛れもないうそで
彼女には辿り着くはずもないうそで
どうしたら彼女を愛したふりをできますか?
魚に尋ねれば
泡になればわかるよ、と言うばかり
僕には声があるから到底無理ですよ、と笑って返した
彼女はアイを返せといわない
なにも なにも いわない
恐ろしいほどに 彼女ははにかみ うれしそうにする
彼女は愛してるとはいわない
なにも なにも いわない
それでも 恐ろしいほどの愛を僕にそそいでくれている
と僕は知っている
嘘をつきました
彼女には辿り着くはずもない嘘を つきました
そうして 彼女の目にはたくさんの泡がやどり
とろけて消えてしまいそうです
彼女には声もあって 足もあるというのに
僕は恐ろしくて仕方ありません
大きな、端から見たら小さな、制作をやっとのこと終わらせました。
長かったのかなあ、短かったのかなあ、と考えても考えつかないくらい、呆然としています。
完成した瞬間は嬉しかったのだけど、本当に終わったの?って疑問に思ったり。
そうして今、どうしたらいいのか、よく分かりません。
打ち上げの飲み会があるのですが、行っても行かなくてもいいなあなんて思ったり。
どっちかっていうと行きたくないのかも。
いつもなら、「飲み会じゃあああああ」と率先して行くのですがね。笑
望まれたものが出来たとは、思えない。
後悔とか、謝りたい気持ちとか、いろんな負のものが押し寄せてくる。
でもね、なんだか、がんばったな今度もがんばれ、と自分を褒めたくなる。
自分にしては珍しい。
製作中も、熱心に作業しながら、静かに何かを分析する自分がいて、いつもと違った動きをしていた気がします。
良くも、悪くも、だけどね。
そうして気づいてしまったこと。
やっぱり私は、デザインすることがへたくそだ。
あがいて、あがいて、技術をつけて、時間を費やすことでしか、物を作れない。
だれかが、短時間で発想できることができなくて、いいアイディアが頭に浮かばない。
小さい頃から、作ることが大好きなんだけどねえ。
まあ、適材適所があるからね。
私は物を作っていけないと悲観してるわけではないよ。
本当に凡才だから、努力せんといけんってことだ。
幸運なことにも、私が作った物が好きだと言ってくれる人がいる。
このブログも含めてね。
そういってくれる人がいるから、へこたれながらも、折れずにいれるんだよなあ。
感謝してもしきれません。
書きながら思った。呆然としてるのはこれが正解なのか分からないんだろうなって。
誰がみても、正解なんて分からないだろうになあ。
そうは思っても、自分の根本は、正解を求めている。
なんて不毛な考えなんだろうなあ。
でも、正解に辿り着いた時が、自分の終わりな気がする。
早く、何かを作ろう。
目の前の彼女は日誌を書く。
つらづらと並ぶ字は、均等でまっすぐで、綺麗だ。
「いつも、あいつを見ているな、お前。」
えんぴつが紙の上をすらすらと歩く音が、教室に響く。
彼女は自分のことで精一杯で、話すことに気が回らない。
話は聞いているらしい。するべきことを終えた後で、ぽつりぽつりと返事をくれる。それが嬉しい。
彼女が作業をしている時は、自身が淡々とつぶやくように、一方的に話す。
いつものように沈黙が続くのに、違和感は無い。
「あの人が嫌い。」
めったに言葉を発しない彼女が、はっきりと、凛とした声で告げた。
彼女の手から、顔へと目線をうつす。
顔にわずかの怒りを重ねて、あいつの席をじっとみていた。
「どうして均衡を乱すの?」
彼女の世界は、彼女一人だけでできている。彼女の規則を乱す物を、彼女は許せない。
だけれども、彼女の規則は、ごく当たり前のことで出来ている。彼女はごく当たり前のまじめな女子高生でしかない。
「許せない?」
「許せない。」
この教室という世界で、人気者のあいつは、無骨で、楽しむことを愛している。
彼女の目には、どれほどの悪に見えているのだろう。
気になれど、俺は彼女の目にはなれない。
残念だなあ、と窓の向こうを見つめた。
「空があおいね。」
「・・・。」
「よかったね、あいつがいて。」
「そんなはず、ない。」
純粋に、いつもと違う彼女が、面白くて仕方ない。
あいつ、と言えば、彼女は乱され、彼女の世界を揺るがしていく。
なんと喜ばしいことだろう。
*******
詩の「それをなんとよぶのか」の彼女
彼女も私の中から離れず、いつか物語の中でいかしたいなと思う彼女
書きなぐり、そのうちなおす
こわいことはすべて しあわせで封をしてしまおう
それでまちがえないよね?
きみはそういう
純真無垢であるかのように問う
そうして
息をすって
僕をみる
みて、みて、みつくして
えがおをこぼす
それをみるたびに
僕は何も言えなくなって
頭を縦に振る
きみは
それがすべてであるように
僕がうなずくのを待っていて
それを確認して 僕に問う
そうして
「幸せかい?」ときみは問う
そう問うことがこわいよと
僕はそう思いながら笑ってうなずく
それはいつもと同じ
誰かが私を捜している夢をみた。
ぽちゃり、ぽちゃぽちゃと雫は落ちる。
地面は水で満たされている。
(みずたまりがたくさんあるみたい)
光はないはずなのに、青白い光が洞窟を彩る。
先は見えない、先は見えない。
「ねえどこへいくというの」
ひとりでに歩く長靴がこちらを振り向く。
2・3回、ステップを踏むと、また歩き出した。
(こたえになってないよ)
それでも私は長靴を追いかける。
長靴が私を呼ぶ。
「あなたがすきだからゆくのよ」
あらぬ方向へ 私の息はとんでいって
かなしいの
いとしいの
うれしいの
くるしいの
たのしいの
言葉を変換して みんなを吞み込んでいきます
寂しがり屋だから、私はネットをやっているよ、と自信を持って、ネットでいえる。
現実では言えない。
現実で言えるほど、私は素直でなく、人間できていない人だからです。
だからこのネットの中で、ブログで話している。
そしてこのネットの中で、埋もれてうずくまっていると思う。
かなしいことも、うれしいことも、ここで話す。
現実ですべてを話してしまったら、すべてが壊れるように感じてしかたがないのです。
漫画もやしもんの台詞で。
「人に嫌われないように生きるのって大変だけど、
嫌われないように生きてるってばれたら、嫌われちゃうよ」
という台詞が、私に酷く響きました。
そうに違いない。
嫌われないように生きてるってことは、自分を偽ってるってことで。
自分が話してる相手が、偽っていたら、それは悲しくて、ひとり相撲にしか感じられない。
私は人と喧嘩しません。
でも、仲が良くて、大切だったはずの人ほど、喧嘩別れに近いことをしています。
当時の私は、自分が悪いことを感じながら、何がいけなかったのか分からなかった。
でも、今ならなんとなく分かる気がします。
その人たちは気づいていたんでしょうね。
私が、その人たちの前にいながら、自分を偽り、本気で向かい合わなかったことを。
最近そう、よく感じます。
ネットでこうしてつぶやきながら、私は現実から逃げています。
幾人かの現実の友人がここをみています。
今も見てるか、わからないけれど、ネットを通してなら、こういうことを言える自分がこわい。
寂しがり屋だと知ってほしくて、でもネットなら遠回しにいえる。
こういう人が多いんではないかな。
私もしかり、寂しいといって、現実の知り合いと向き合わずして、理解してもらうことを望んでいたり。
はたまた、愚痴とか相手への暴言をネットでいっていて、反感を買っているひともいます。
ネットのすべてに浸かってはならない、と思います。
使われてはだめですよ、使ってください。
そして、素直であるべきです。
好きも、嫌いも正直にいってください。
それに怒りを覚える人がいても、あなたが苦しむ必要は無い。
そんなあなたを好きといってくれる人を大事にすればいい。
自分を偽って、人と付き合っていて、好きだといってくれる人が現れる。
そして、嘘だと気づいた時、その大事な人は何を信じていいか分からなくなってしまうでしょう。
私はもう遅いのかもしれない。
寂しい寂しいとこのブログで、叫び続けている。
でも、諦めたりするわけではない。
自分に最善な結果になれば、結果オーライだ。
曲げたからだが暗がりをつくり
からだを覆う腕が君の世界をつくる
手を伸ばして
底へ届けたなら
君を嘘にしてしまうのか
触れた肌の暖かさは
君の胸の熱さとはほど遠く
声が声なき声へと変わり
体内で反響する
理解ができたって
消化して栄養にすることはできない
溢るる涙が
君の悲しみに追いつくのはいつだろう
実家に帰るため、高速バスに乗っております。
バスに揺られていると、なんでか、とても眠くなります。
一週間ほど実家に滞在します。
こんなに長く居るのは、久しぶりかもしれない。
私は大学生のため、9月だというのにまだ夏休み気分です。
でも、今年はインターンに参加したり、部活におわれたりで忙しかった。夏っぽい遊びをしてません。友達と遊んだりはしてましたが。
実家で何かできたらいいなあ、と淡い夢を描いています。
長野は自然で溢れてます。地元が大好きです。
久しぶりに、ゆっくりと羽を伸ばしてきます。
自分を好きということは、とても難しく、それでいて凄いことなのだと思います。
私の友人には、自分を嫌いとはっきりいう人もいれば、好きだと笑って答えてくれる人もいます。
どちらが良くて悪いのか、ということではありません。
嫌いだからこそ、自分を客観的にみて行動できるのかもしれないし、好きだから自分を信じて、自分の意志を貫いた行動ができるのかもしれない。
どちらにも利点はあって、欠点もあります。
それは当たり前のことです。
私は、自分のことを、好きと嫌い半分ずつだと思っています。
自分がやってきたことをすべて否定することはできなくて認めてあげたい。でも自分の短所を長所として見ることができないからです。
それに、自分に自信がないのです。
だから、好きと嫌い、どちらかをはっきりという事が出来ない。
昔の自分は、自分のことを大嫌いとはっきりと言っていました。負の方の自分には自信があったのです。
でも、それも出来ないぐらいに、私は色々なことを経験して、自分なりに乗り越えてきたつもりです。
私を好きだと言ってくれる人もいます。その人たちを前にして、自分を嫌いだと言うことは、自分を好いてくれる人をも否定することのように思えます。
頑張ってきた自分を否定したくないし、その人たちを否定したくはない。だからこそ、自分のすべてを、否定してやることはできないのです。
でも、それでもまだ、自分に自信がないので、自分を好きとはっきりは言えません。
自分を好きだと言える人がすごいと思う理由は、自分に逃げ場を与えないからです。
自分を嫌いということは、客観的であれるけど、ほんの少しでも逃げ場を作ることなのです。
嫌いだから、欠点があるから、仕方ない。そういうことは簡単にできます。
昔の自分は、自分のことを大嫌いといっていました。それは自分に逃げ場を与えるために思った"嫌い"でした。
今思えば、滑稽で、それでも足掻いてきた自分で、嫌いにはなれないです。
当時の自分が嫌いと言っても、私は好きだと言ってやれる自信はあります。
誰かが当時の自分を罵り、愚かだといっても、それを理解し、認めることができます。
罵られたとしても、愚かな自分は事実であり、それを含めて好きだといってやれます。
誰かが否定しても、自信を持って好きだといえることは、自分に逃げ場を与えず、自分を信頼することなのです。
それはとても難しい。当時の思春期で不安定だった自分は、そんな自分を信頼してやることは出来ませんでした。
信頼するってとても難しい。どこにも確証はありませんからね。
いつか自分を好きとはっきり言えるようになりたいと、私は思います。
自分を嫌いといっていた自分は、嫌いといいながら、自分を好きだという人に憧れていました。
読んでくれた人は、自分のことは好きですか?嫌いですか?
どちらでもいいけれど、考えることは止めてはいけないな、と思います。
無関心が一番だめですよ。
それが怖いものだと知るのが怖く
それが優しいものだと知るのがさらに怖いのだ
きっと 僕が感じた幸福は
きみの 不幸のかたまりで
きらい 言葉を裏返しては
きいて 音色を変えていき
きえる 僕と君だけの未来
私はロボットが好きです。
詩の中にも、そんな表現がいくつか出ているなあと思います。
さいごにユートルは、ロボットへのなんともいえない愛情が詰まっています。
今日は、とっても長ったらしくて、意味の無い、ロボットの話をしようかと思います。
なんで、ロボットが好きなんだろう。
そう考えると、まず最初に浮かぶのは、いつから好きだったんだろうっていう問いです。
小さい頃から、ロボットというものに憧れていました。
親戚の兄がゲームをする人でした。よく横に座らせてもらって、兄がプレイしているところをじっと見ていました。
兄がするゲームにはロボットが出ていることが多かった。ロボットってかっこいいんですよ。
輝くボディ、敵を倒す武器、空を飛ぶ姿・・・見ているだけで楽しかったです。兄はゲームをやらしてくれませんでしたがね。
ゲームのロボットだけでなく、ドラえもんやアトムも大好きでしたよ。
ロボット、一緒に笑って、心を通わせるのはすごいことですよね。
アニメを良く見てました。今でもよく見ます。
ロボットに乗れたら、戦えたら、遊べたら、友達になれたら・・・。
私にとって、ロボットは、たくさんの夢で溢れていました。
かっこよくて、楽しくて、やさしい存在、だったと認識してます。
ロボットがでる作品をいろいろ見てきました。
一番、衝撃を受けたのは、人間になりたいと葛藤するロボットという作品を初めて見たときでした。
私は恐ろしく感動したし、悲しかったし、愛おしかったです。
人間になりたいと葛藤する様は人間なのに、体は鉄の固まりでしかない。
その矛盾が、私にとって、究極の葛藤で、優しい葛藤に思えました。
優れた体や性能を求めるより、心を求める様は、馬鹿であり愛しいと思うのです。
なんでロボットが好きなのか?
結論として、言葉にすることができないのですが、上記のことなんだろうなあと思います。
かっこいいロボットも、やさしいロボットも好きです。
極端に言うと、悪のロボットも好きです。正義のロボットと悪のロボットが戦っている姿をみると、勝ち負けよりも、迫力や武器に目がいってしまいます。
好きな物を、なぜ好きなの?と聞かれると、言葉にするのは難しいですね。
でも振り返れば、理由はいくつもあって、あのとき惹かれたのだ、とはっきり分かります。
言葉にはできないですけど。笑
そうやって好きな物を追求して行くと、自分すらも見えてくる気がします。
考えることをやめてはならないと思います。
なんで好きなの?
そうして自分に問いかけ、自分を理解することは、自分の足場を作り上げて行きます。
そうしたら、ロボットが自分に近づくかもしれないなあ、なんてくだらないことを思いながら、私は物思いにふけっています。
ロボットになりたいなあ。
かなかな と声がする
落ちる夕焼け もたり
むしむしと うなる熱
かえるときは近く
ねむるのはまだ遠い
ちかちかと輝く思い出が あたまを離れない
言いたいことを消しては書いてます。
詩ではないのですが。
結果、何を書いたらいいかわからなくなりました。(どーん)
ということがよくあり、書くのをやめるときもよくあります。
拍手コメントも読んでます。
非公開にしていらっしゃるので、返信していいものか悩んだ結果していません。
コメントありがとうございます。
にやにやしながら見てます。気持ちが悪い、という言葉は胸におさめておいてください。
拍手とかをみていると、ぽつりぽつりと語っていることも反応していただけて嬉しい限りです。
何ぼやいても大丈夫じゃね?と思い始めてる今日この頃。
何か衝撃的な記事があったら、阿呆かお前とでも罵ってやってください。
それでも、反応してくれる人がいると喜びそうな自分が怖いですがね。
今度はなに書くかなあ。
死んでしまえば同じものだから
腐りかけた腕がぽろりと落ちて
意味をもたなくなってしまった
元の位置には戻らないのだろう
知ってはいたけれど虚しいもの
それでも同じだから腕を捨てた
腕は嬉しそうな声で話し始める
僕は君のすべてではないのだよ
君の一部であって君自身なんだ
僕は君のすべてだと思っている
それで一部であることが誇りだ
腕は一度跳ねて海へと飛び込む
帰らないことが誇りであること
僕が理解できない誇りをかかげ
僕が知り得ない元の位置へ戻る
なんというか、なんともかな。
誰かに求められるということは、中毒になるなあと思います。
日常的に、物を作り、誰かに評価していただくという機会があります。
それは、とても贅沢なことだなあと思います。
良いとも、悪いとも、どんな評価でも、評価される環境にあることは恵まれています。
世の中には、作っても評価されないものもあります。
ただただ、無関心に、見られるものだけのものです。
それは、あることが重要なんだけれど、求められているかというと違うんですよね。
求められることは、自分を認めてもらうことだと私は思います。
○○を作ってと言われることは、課題などいろいろな場面であります。
その人の良さや悪さも含めて、見るから、作ってきてよと言われるってすごいことです。
そして、自分を認められるって何よりも、嬉しいことだと思ってます。
ときには、すべてを否定する人がいます。
でも、それって私をすべて見た結果、否定することに繋がったんです。
その、否定する人は、私を見ることを止めなかった。
それはすごいことなんですよ。
「お前のそういうとこが好き」そういわれるのは嬉しい。
でも「お前はそういうやつだよなあ」なんていわれるのはもっと嬉しいんです。
良いも悪いも知ってて、そこにあることを認めてくれるって、幸福なことです。
作品を作ることを繰り返し、そういう嬉しさに出会っていると、それが中毒になります。
求められ、認められている嬉しさ。相手が私に反応してくれる嬉しさ。
それらが混ざり合って、なんだか愛しくなります。
愛しいと言葉であってるか分からないですがね。なんだかそれに近い感情のように思います。
それがつもりにつもって中毒になります。
多分、私は何かを作ってないと、中毒症状がでてしまうでしょう。
将来、何かを作っていたい。
それが役立つものであればいいな、と思います。
お前の中で眠るよと
心臓をさしたあの子
怖いことをいうなあと
じろりと見る黒目を
ぼんやりとみていた
お前の心臓といっしょになって
ほだされて お前の甘い考えと同化して
いっしょになれたら幸せになれる
ぱくぱくと動く唇が 僕の視界にちらつく
可哀想なぐらい僕に溺れるこの子が
僕は可愛くて仕方ない
僕たちは互いに溺れて 掴みあってるのだ